〝路〟の文字をその世代(三十代・四十代……)全般にかかるものと拡大解釈(誤)しておりました。
文字をみれば、そうですよね。
〇歳の道であって、その世代の道ではない。
〝世代〟を省略して認識していたのです。
どこかで、そのように使っていたかも……
そこそこ手直ししているので、どこで使っていたか……
怪しい部分・可能性が薄くても見逃しそうな場面が混在し、手をつけかねているのが現状ですが、キャラ年齢の狂いは致命的。
修正必須箇所です。
(なんであれ、手直しする都度、マシになっていると思いたいです)
これも変容が激しいことばの妙。
時代の変化・個人の受けとめ方・世界観とかいってはぐらかしたい場面でありますが、そうもいかない(極端にふりきれるわけでも、あいまいにぼかせる部分でもない/伝えるうえでは然りですし、定命があるなかの五歳・六歳のちがいは大きい)。
上記〝はぐらかしたくなる性分〟に焦点をあて、話をそらしますが、
〝そうゆう〟〝こうゆう〟それに三点リーダに関しては、いまだに一物ある奴です (^人^)
困ったことに、公的文書に混ぜなければ、それでいいじゃん認識💦
そもそも、小説って公的文章なのか?
外にだすなら、ジャンルによってはそうかも知れない……とも思うのだけれど……うん。
目的や方向性、ジャンル・作風によるのですよね、たぶん……
(そう思いたい――そうでなきゃ、漫画やアニメ、コメディや風刺、ダジャレ、笑い……ひいては文化が成り立たない。
伝える上で、最低限度の標準は必要になりますが、それも過ぎれば人間味に欠けてくる。
あまりにも単調でありながら技巧的。
規制・機械的?
それはそれで、すごいと思うけれど……人としてあるかぎり、おもしろみに飢えてくる)
どんなフィールドでもユーモアはスパイスになる。
いっぽうで、硬さとやわらかさは反比例する。
ぎこちなさだろうと、なめらかさだろうと、ひっかけだろうと、表現の装飾になりますし、
つまるところ文章の扱い方やセンスの問題なのでしょう…――
わたし的には〝こんにちわ〟も、かわいい、小粋、くだけている表現になるのですけれど……(定義づけ・慣例というものは、ものを伝える上で効果的に活きるけれど、〝わ〟は確実にその音を顕す表記なのですし……)。
ともあれ〝まちがい〟は〝まちがい〟なのが痛いところです。
いずれにせよ、まだまだ言の葉の学び直し(が)必須……
自分が足りていないのはあきらか。いろいろ誤解もしていることでしょう。
日本語にかぎらず、言葉や表現は、ほんと難しいです(人に添い進化も退化する、生きもののごとくありますよね……)。
それでも、人様の目にさらす以上は、気づいたあたり・自覚したあたりから改善始めなきゃ……ですね。
不甲斐なくも、つらい……(おもしろいなぁ、と思う⦅←強がり⦆いっぽう、わたしのキャパと頭がおいついていかないです/誤認は実に恥ずかった💦 ってか、まだ、文章直してないので、現在進行形にするべき部分だな💧)