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愚物どもが

だから嫌いなんだ中途半端に知識をつけた知ったかぶりは。
私自身勿論私こそがすべて知っていると傲慢に言う事ができるほどの人間ではない、
だが俺とお前では価値観が違う理解度が違うベクトルが違う。
違う違う違う違う違う違うすべて違う、そんな人間が堂々とさもこれが正解だと言わんばかりに身勝手な意見を押し付けてくるな、「まず私の話を聞いて」というのであれば他者の考えを最後まで聞け。
命など、つまらん。
私は既に人間性を喪っている。これは思い込みなどではなく思慮が足りないからでもない。既に確認された事実である、そうでなければ人格の分裂も度重なる思考の矛盾もありはしない。
人は生まれ、そして皆死ぬ。生まれるのは皆ではない。私は身を持って理解している。これは私の中での確固たる事実であり他者のいかにも高尚であると言ったふうな物差しや判定を必要としないものである。
遅かれ早かれいずれ死ぬのだからそれが今目の前で友人に起こり得ようと私はそれを「事実」としてのみ受け入れた。感受性の乏しいと言ってしまえばそれまでだがある意味麻痺しているのかは論ずるべき点ではない。
事実これは机上の空論などではなく私の身に起こりえたことである。関係の深い親族の死ですら私には響かなかった。響くだけの記憶がなかったというわけではない。思い出そうと思えば僅かな仕草や声色に行動、その日着ていた服の色に体に刻まれた傷やシワの数に日々の日課など、そのすべてをありありと思い浮かべることができる。誰を見てもそうだ。葬式では周りの大人を無視して暇を持て余すあまりドリンクバーのコーヒーを飲んでは空にする行動を繰り返していた。ふと偶然見つけたルービックキューブを手に取り、そういえばこの葬式の主役は頼めばよくこれを揃えてくれていたなとお思い出したが何かしらの感情が湧き出るわけでもなくただ時間は過ぎた。が出子供のときに知覚する時間は齢を重ねるごとに短くなっていくが、真に幼い頃は何もかもが退屈でしかなかった。別に死を迎えたのは親族だけではない。それな入り親しかった友人も数名既に彼らの時間軸を使い切っている。私にとって死とは別れであり区切りであり自然現象だ。止めるすべがあったとて私は何もしないだろう。生物とは死ぬから美しいのであってそれは他者が如何して良いものではない。死なぬ生き物など欠陥品である。それをいつまでも愚図愚図と何をしているのか。
人との別れなど一瞬であろうに。出会うからこそ別れが在るのだろうに。その瞬間を本来であるならば感謝で満たすものなのだろうが、いかんせん私にはそんなものは湧いてこなかった。頭では理解している、と言っても真に理解しているのであれば嗚咽の一つでも出せるだろうというものであろうが私には何処まで行ってもそれは死んだという事実のみが残る。
私はこの時間軸に囚われているだけだ。必ずこの時間軸の中で死を遂げ、それと同様に他人も他人の時間軸の中で存在しているだけだ。全ては事実として完結する。如何にも単純で面白みのないものだ。
感情再現装置たる別人格を呼び戻さねば日常生活を行えぬほどにわたしの価値基準は愚物どもの言う「世間一般の普通」からはどこかしら何かしらズレているのだろうと推測できる。
そして私は誰の教えも必要としない。身勝手に哀れと思い侮辱の手を差し伸べるそのさまが私には滑稽でならない。貴様もまた「理解している」つもりの人間なのであろう。
醜い価値観の押し付け合いならば仲間内で勝手にやっていろ。私を巻き混むな。
今回も失敗だったか。難しいものだな。人に為ろうとするのは。

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